2014年6月8日日曜日

ケインズ経済学の形成過程




                    ケインズ経済学の形成過程


                              平井俊顕

Ⅰ はじめに 二つの流れ 

 ケインズが『一般理論』によって引き起こした経済学上の変革は一般に「ケインズ革命」と称される。この現象を理論史的見地から評価・解明する場合、大別して二種類の研究が必要であろう。一つはケインズがいかにして『一般理論』に至ったのかを一九二〇三〇年代の経済学の展開状況のなかでとらえるという視点からの研究である。もう一つは『一般理論』がそれ以降の経済学の展開にどのような影響を与えてきたのかという視点からの研究である。
 本章は前者に属しているが、そのさいケインズが経済学者として過ごした知的環境はいうまでもなくケンブリッジ学派であるから、そのなかでの彼の理論的営みが問題となる。なかでも本章に関係するものは、不完全競争理論や厚生経済学ではなく、景気変動論の展開である。そしてそのさい、この学派にみられる二つの潮流に注目することが重要である。一つは始祖マーシャルの残した仕事に関連する流れであり、もう一つはスウェーデンの経済学者ヴィクセルに端を発する貨幣的経済学の流れである。

Ⅱ マーシャルの流れ

 マーシャルの経済理論は三つの理論、すなわち需給均衡による交換の理論、現金残高アプローチによる貨幣数量説および信用循環理論で構成されている。マーシャルは交換の問題を『経済学原理』において、貨幣の限界効用ならびに貨幣の一般的購買力を一定と想定し、また分析の対象を一財に限定することにより、通時的問題に威力を発揮する「正常需給均衡の安定均衡理論」として提示した。本章のテーマと直接関連するのは『貨幣、信用および貿易』である。同書では二つの貨幣理論が示されている。一つは彼が一八七一年に展開していた現金残高アプローチによる貨幣数量説であり、それは通貨にたいする一般的信用が正常な状態で成立するものと位置づけられている。もう一つは彼が一八七九年に展開していた信用循環理論である。通貨にたいする一般的信用が正常でない状態で成立するものと位置づけられたこの理論には概ね次のような特徴がある - () 経済の変動における公衆の (確信や不信といった) 心理が重視されている。上昇局面では確信が確信を生み出し、下降局面では不信が不信を生み出す。() 経済の波及過程が乗数理論的に説明されている。上昇、下降のいずれの局面においても、変化はまず投資財産業に生じ、続いてそこで雇用されている人々の所得変化により消費需要が変化する。() 経済の過度の変動について投機家の演じる役割が重視されている。
だが貨幣と信用をめぐるマーシャルの理論はあまりにも断片的であった。この領域のさらなる展開はピグーやラヴィントンによって継承されたのである。

 Ⅲ ヴィクセルの流れ

この流れは、20世紀前半の最も輝ける理論的潮流であったといっても過言ではない。それは相対価格の理論(一般均衡理論)と貨幣数量説から構成される新古典派経済学にたいする内在的批判から発生した一群の貨幣的経済学であり、ヴィクセルを嚆矢とする。ヴィクセル自身は相対価格の理論を「ワルラス理論+ベーム- バヴェルクの資本理論」のかたちで継承する一方、絶対価格決定の理論としての貨幣数量説に批判の矛先を向け、それに代わるものとして累積過程の理論を提示した。リンダール、ミュルダール( ストックホルム学派) やミーゼス、ハイエク(オーストリア学派) に代表される多くの経済学者がヴィクセルの発想を批判的に受け入れつつ、新古典派の二分法体系そのものを批判し、それに代わる貨幣的経済学の構築をめざしたのである。
 ケンブリッジ学派にあってマーシャルとは明確に異なる流れはロバートソンによって打ち出された。アフタリオンやカッセルから大きな影響を受けて執筆された『銀行政策と価格水準』([21]Robertson)がそれである。同書はヴィクセルから直接の影響は受けていない。しかしミュルダールやハイエク等から近似せる問題を近似せる理論により展開したものとして高く評価されており、その意味で、彼の理論をケンブリッジ学派のなかのヴィクセル的流れとして位置づけてもよいであろう。そしてロバートソンの理論に大きな影響を受けて成立したのがケインズの『貨幣論』([10]Keynes) である。ケインズは同書で、ロバートソンのおかげで投資・貯蓄の識別という正しい方向に向かうことができたと明言しつつ、そこで展開されている自らの理論をヴィクセルの流れに位置づけるのである。

  以上のような文脈のもとで、本章は『貨幣論』から『一般理論』に至るケインズの理論的変遷を専ら、この二書ならびにその間に書かれたさまざまな草稿を基にしつつ追究し、そのうえで「ケインズ革命」について若干の考察を試みることにする。


『貨幣論』

  『貨幣論』がヴィクセルの流れに属しているというのは、貨幣数量説にたいする批判(マーシャルの現金残高数量説および投機家の行動を重視した信用循環理論にたいする批判) のうえに、ヴィクセル的な論点を重視しつつ、自らの貨幣的経済理論が展開されているからである。また明確に意識されているわけではないが、古典派の二分法も事実上否定されているとみてよいであろう。
  さて『貨幣論』の理論構造における顕著な特徴は、ヴィクセルの流れに属する理論と固有の理論の双方がみられ、しかもそれらは併存しているという点にある。
  『貨幣論』がヴィクセルの流れに属するというのは、次のような事実に基づく- () 自然利子率と貨幣利子率との相対的関係による物価水準変動の説明、() 価格水準を安定化させるうえでのバンク・レート政策の重視、() いわゆる貨幣的均衡の三条件(自然利子率と貨幣利子率の均衡、投資と貯蓄の均衡、物価水準の安定)の同値性の承認。ただし、ケインズが自らの立場をヴィクセルの流れにおく最大の根拠は、バンク・レートを貯蓄・投資との関係でとらえる発想にある。『貨幣論』では、この発想はバンク・レート政策により、貯蓄と投資の変動を通じて経済の安定( 物価と産出量の安定) が達成されるメカニズムとして採用されている。
  『貨幣論』固有の理論構造は、以下に説明する(メカニズム一)と(メカニズム二)の「TM供給関数」を通じた動学過程として表現できる。
  まずある期間における消費財および投資財の価格水準が決定される。

(メカニズム一)- 「任意の期」における消費財の価格水準の決定。
当期の初めに決定されている生産費および供給量のもとで、消費財への支出額が稼得から決定されると、それは消費財の売上げ額として実現され、そのとき価格と利潤は同時に決定される。これは周知の「第一基本方程式」と事実上同じである。

(メカニズム二)- 「任意の期」における投資財の価格水準の決定。
当期の初めに生産費および供給量は決定されている。投資財の価格は株式証券市場で(いわゆる「弱気関数の理論」)、または資本財があげると予想される収益を利子率で割り引くことによって決定される。そのとき利潤も決定される。

  (メカニズム一)により消費財の価格水準と利潤が、(メカニズム二)により投資財の価格水準と利潤が、それぞれ決定される。両部門の実現利潤( 損失) に刺激されて、企業は来期の生産を拡張(縮小)するように行動する( 便宜上これを「TМ供給関数」と呼ぶことにする) 。来期にはこのようにして決定された生産量を所与として、ふたたび(メカニズム一)と(メカニズム二)が作動する。
  『貨幣論』で展開されている以上の理論には、三種類の「二重性」がみとめられる。まず消費財価格決定理論の「二重性」( 消費額を決定する理論として、ときには() 稼得を、ときには()利子率を採用) 、投資財価格決定理論の「二重性」( ときには()弱気関数の理論を、ときには()予想収益を利子率で割り引くという考え方を採用) が根底にある。この二種類の二重性のうえに、ヴィクセルの流れに属する理論と「固有の理論」の併存という「二重性」が横たわっている。つまり、前者としては()()を用い(主としてバンク・レートによる経済政策論の展開に使用)、後者としては()()を用いている。

『貨幣論』から『一般理論』へ

 ケインズはどのようにして、ヴィクセルの流れに属する『貨幣論』から『一般理論』に至ったのであろうか。そしてその結果、出発点としての『貨幣論』と到達点としての『一般理論』は、どのように異なったのであろうか。

一 変遷過程

 『貨幣論』の理論構造(上述の「固有の理論構造」を指すものとして用いる) が維持されている時期は、一九三二年中葉の草稿「生産の貨幣理論」(JMK.13,, pp.381-396。最初の章の題名からこう呼ぶことにする) ないしは一九三二年度のミカエルマス学期の半ば(十一月中旬) までである。ケインズは「TМ供給関数」の概念を非常に重視していた。ロビンソンからの手紙に答えて曰く、「わたしがいいたいことは、全体としての利潤の増加は、全体としての産出の増加をもたらすと考えることが合理的であるということにほぼつきます」(JMK.13, p.380)
  『一般理論』の世界への「転換点」は一九三二年末の草稿「貨幣経済のパラメーター」(JMK.13, pp.397-405) に求めることができる。ここにおいて「TМ供給関数」は財市場の分析から実質的に姿を消しており、その帰結として『貨幣論』とは著しく異なる理論モデルが提示されている。「TМ供給関数」の消失は小さな転換ではなく質的な転換である。そのことにより価格や生産量の決定に利潤は関与しなくなり、モデルは投資・貯蓄の均衡を前提にした同時決定の体系になっているからである。
  一九三三年に執筆された三つの草稿から判断すると、この時期ケインズは、『一般理論』の第三章「有効需要の原理」の源流に到達しており、雇用量の決定に関して、その均衡および安定条件を論じている。だがケインズの立論には多くのあいまいな点がみられ、その意味でケインズは「模索」状況にあった、といえる。第一草稿「雇用の貨幣理論」(JMK.13, pp.62-66) では有効需要の原理に通じる最初の方程式体系が展開され、第三草稿「雇用の一般理論」(JMK.29, pp.76-101, JMK.13, pp.421-422) では「有効需要」の概念を中心に議論が展開されている。三つの草稿を検討するさいの核心的問題は、ケインズが「会計期間」という期間概念を用いつついわゆる「古典派の第一公準」を承認するとともに、「準TМ供給関数マーク2」(利潤の関数として雇用量を示すものであり、均衡雇用量の、決定ではなくその安定条件を扱っている。これをこう呼ぶことにする)をも継承している第二草稿「雇用の一般理論」(JMK.13, p.63, pp.66-73, pp.87-92, pp.95-102)をいかに整合的に説明できるかにあるであろう。
 一九三三年の末から一九三四年の前半にかけての「二つの日付け不明の草稿」(第一の草稿はJMK.13, pp.102-111, 第二の草稿はJMK.13, pp.111-120) の頃に、『一般理論』は「確立」したと考えられる。消費理論の事実上の完成と投資理論の改善がみられ、これらの領域が確立しているからである。さらに一九三四年春の草稿「雇用・利子および貨幣の一般理論」(JMK.13, pp.423-456) の頃は、「生誕前夜」ということができる。有効需要概念と雇用量決定理論をめぐり立論は錯綜しており、その意味でケインズの苦闘の跡が最も鮮明にみられる時期である。
  『一般理論』の校正過程は、一九三四年以降『一般理論』に至るまで続いている。「初校ゲラⅠ」(一九三四年九月から十二月にかけて分散しているゲラをこう呼ぶことにする) では、有効需要、投資、主要費用の定義は、使用者費用を含むか否かにより『一般理論』の定義とは異なる。たとえば、初校ゲラⅠから第三校ゲラ(一九三五年六月頃のゲラをこう呼ぶことにする) に至るまでは一貫して、実現値である所得と予想値である有効需要は使用者費用の分だけ異なっており、使用者費用を含む有効需要が雇用量の決定にとって重要であると主張されているが、この考えは『一般理論』にはない。
  以上の変遷過程のなかで、とくに重要なのは雇用量の決定理論である。ケインズが分析の中心を雇用量の決定におくようになるのは、一九三三年の第一草稿からである。それより以前では価格が重視され、数量の決定は「TM供給関数」によって担われていたのである。

     二  比較

 『貨幣論』と『一般理論』との比較を、後者を基準として貨幣市場と財市場に分けて行なうことにしよう。
  貨幣市場については、「弱気関数の理論」は「流動性選好」の登場により消失するが、資産選択という基本的な発想は『一般理論』に継承されており、断絶がないわけではないが概して連続的である。両書に展開されている理論は、貨幣のもつ役割を重視する貨幣的経済理論である。『一般理論』においても、利子率のもつ調整機能は重要である。ある利子率のもとで、投資の変化は所得の変化を通じて同額の貯蓄の変化をもたらし、そのことによって国民所得が創出される。さらに利子率は、均衡国民所得に至る調整過程でふたたび重要な役割を演じる4 
  財市場については、両書のあいだに理論上の連続性はみられない。ケインズは雇用量の決定メカニズムを提示した最初の経済学者であり、これが「ケインズ革命」の実体である。本稿の立場は、『貨幣論』は流動性選好の本質を含んでいるが「有効需要の理論」を含んでいないという認識においては、パティンキン([18]Patinkin) と同じ立場である。『貨幣論』は過渡期の分析に重点をおいており、その動学性を担っているのが「TM供給関数」であった。他方『一般理論』は雇用量の決定に重点をおいていた。だからこそ1933年の第一草稿における雇用量決定の方程式(上記で「有効需要の原理に通じる最初の方程式体系」と呼んだもの) がもつ意義は重要なのである。


ケインズ革命

  ケインズ革命を理論史的見地から語るさいには、本稿で取り上げた範囲内では二つの問題に答える必要がある。一つは『貨幣論』を当時の経済理論の潮流のなかでどのように位置づけるかであり、もう一つは『貨幣論』と『一般理論』の関係をどのようにとらえるかである。

  第一の問題について -何よりも『貨幣論』は、新古典派体系批判に基づいた貨幣的経済理論の構築をめざしたものであり、その理論構成も半分はヴィクセルの流れに属している。ただし弱気関数の理論にかんするかぎり、それはマーシャル的貨幣理論の精緻化としてとらえることができる。 

  第二の問題について- 『一般理論』では、新古典派体系にたいする批判は、『貨幣論』とは異なり、明示化されたうえで、新しい貨幣的経済理論の構築がめざされている。そのかぎりでは『一般理論』もヴィクセルの流れの延長線上にあるといえよう。だがここでより重要なことは、『一般理論』においてはじめて雇用量決定の具体的理論が提示されたという点である。そしてそれが確立された時期が、すでにみたように、一九三二年の末から一九三三年の初めにかけての頃であった。ケインズ革命は、財市場の分析に独自性がみられ、それに『貨幣論』以来の貨幣市場分析が調整されることにより生まれたものであり、それは両市場の相互作用で雇用量が決定されることを提示した貨幣的経済理論の誕生としてみることができるであろう。

おわりに

 最後に、ケインズを取り巻く当時の経済学の環境に関連して重要と思われる論点を二つ記しておくことにしたい。
 第一に、景気変動論を特殊分野の問題ととらえるべきではない。むしろそれは理論経済学の根本的なあり方をめぐる問題である。ヴィクセルの流れにおいては、景気変動論は、古典派の二分法ならびに貨幣数量説にたいする強烈な批判意識に基づきつつ展開されたのである。ただしケンブリッジ学派では、『一般理論』に至るまではそのような意識は弱かったといえる。
  第二に、本章で言及したマーシャルの流れとヴィクセルの流れという分類は、ケンブリッジにおける景気変動論の流れをとらえるうえで有効なものであるが、そのことはすべてを完全に白黒をつけて分けられるということを意味するものではない。たとえば、ロバートソンや『貨幣論』のケインズがヴィクセルの流れに属するといっても、両者がケンブリッジ特有の現金残高アプローチを継承しているという事実は、厳然として存在するのである。